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5. 新規就農者支援について

 昭和村は以前から移住・定住の促進に関する施策を実施してきた。1994年には「からむし織体験生事業」を開始し、「織姫」として女性の体験生を募集。2001年からは「彦星」として男性も受け入れ、30年で全国から120名以上が体験生として来村・居住し、そのうち約30名が定住に結び付いている。
 2003年には「昭和村新規農業参入推進協議会」が昭和村、昭和村農業委員会、JA会津みどり、生産団体、県(普及所) を構成機関として設立。行政と関係機関の協力のもと、国の支援の他、村役場や農業委員会は農地の斡旋あっせんや住宅関連、農地借料等を補助、県(普及所)は経営・技術、JAは営農資金・販路確保と役割を分担しながら、UIターン者によるかすみ草栽培の新規就農者の受け入れ体制を構築してきた。2011年の震災以降で、約30組の新規就農者を受け入れてきた。2017年にUIターン者による新規就農者の確保・育成に向けたインターンシップ事業「かすみの学校」を創設。2019年にかすみ草栽培の担い手確保と供給体制の維持を目的に、昭和村、柳津町、三島町、金山町と、JA会津よつば、同JA昭和かすみ草部会、福島県会津農林事務所によって「昭和かすみ草振興協議会」が設立されると翌2020年には新たな就農希望者の就農前研修カリキュラムとして「かすみの教習所」が設置された。
 就農には、①18歳以上の者、②就農に対する強い意欲と情熱のある者、③本村に定住しようとする者、④耕作すべき農用地の全てについて耕作する者、⑤家族単位での定住および親族の理解を得ていることなどの条件がある。新規就農者は面接含む2度の審査を行い選定している。JA会津よつば昭和かすみ草部会・部会長も面接者の一人だ。昭和かすみ草部会には、県が定める研修を修了した新規就農者の受け入れが可能な部会員が12名ほどいる。

6.生産者へのヒアリング

(1)JA会津よつば昭和かすみ草部会・立川幸一部会長
 現在、JA会津よつば昭和かすみ草部会を束ねるのは部会長の立川幸一さん(64)である。立川さんは会津若松市の生まれで、結婚し同市内に居を構えていた。運送業に従事していた当時、立川さんは積み荷の中にかすみ草の箱を発見。同業者から「これ昭和村で作ってるんだって。1箱5万円だって」という話を聞き、妻の地元である昭和村を訪問したところ山腹にハウスを発見した。ちょうど「トラックの運転も危険だし、そろそろ独立してコンビニ経営でも」と考えていた時機だった。妻に昭和村での就農について話をしてみたところ「両親と同居してくれるの!」と喜んで賛成。家族を会津若松市内に残し、1997年に義両親との同居による農業者生活が始まった。
 立川さんの就農当時は、今のような手厚い制度はない。よって先輩農家を訪ね見聞きしながら、かすみ草の栽培方法を肌で覚えた。「今みたいに何から何まで教えてもらえて、研修した翌年からしっかり売り上げが立つわけじゃない。見習い期間は10年、他の人と同じくらいの売り上げになるのには、15年くらいかかった」と、当時を振り返る。当時は研修専念期間などなく、最初から現場で実践だった。「農業なんてやったことないから、最初は張ったマルチが全部剥がれたり、薬剤の濃度を間違えて半分くらいダメにしちゃったり、いろいろやったよ。JAの花の担当者がみんなを巡回したり家業で花を作っていたりして詳しかったので、よく教えてもらったよ」と、JAの営農指導員との関わりも多かったようだ。
 転換点となったのは研究部の部長時代の市場訪問である。部会役員を中心に関東・関西・北陸方面の市場20か所ほどを訪問する際「高齢の役員に鉄道や徒歩での移動は難儀だろう」とのことで、大型の運転免許を所持し、長距離運転の経験もある立川さんが運転手を引き受け、全旅程に同行することとなった。関西弁の通訳などしながら道中を役員と過ごすうちに、栽培技術も伝授してもらったという。
 かすみ草栽培も軌道に乗った頃、立川さんはかすみ草生産の最盛期である7~10月の前後にあたる6月・11月に、会津平坦部に出向いて栽培をしている先輩を見て、自身も長期的生産に挑戦することにした。平坦部ではハウスを毎年解体せずに済んだため、真冬以外は休めなくなったが、売り上げは部会でも上位になった。役員の依頼もあって、49歳で部会長を引き受けて以後、現在まで15年間にわたり同部会を牽引けんいんしてきた。
 平坦部で栽培する時期の立川さんの一日は午前2時から始まる。峠を越えて暗いうちに圃場に向かい、LEDのヘッドライトをつけて収穫。トラックにかすみ草を積んで昭和村に戻り、作業場で調整し、雪室に出荷する。直売も営んでいるため、昼食も取らずに作業場に戻り、直売用の調整作業を続行する日もある。90代後半の義両親は今もご健在で、義父は94歳までかすみ草の栽培を手伝っていた。最盛期は、近隣の80代含む仲良しグループにおしゃべりしながら手伝いに来てもらっている。収穫作業を雇用労働力に頼ることで、立川さんはより多く調整作業に集中でき、株単価の向上にもつながる。収穫で高齢者に頼れるのは、かすみ草の「軽さ」がなせる業だ。

(2)新規就農者・菊地進二さん、結さんご夫妻
 2022年春に昭和村に移住し、立川部会長のもとで研鑚けんさんを積んだ菊地進二さんは、宮城県仙台市の出身だ。仕事の異動で東北地方を転々としている間に、青森県八戸市出身の結さんと同じ職場で出会った。コロナ禍を店舗責任者として過ごす中、人員整理など心理的負担の多い業務も経験した。その頃に、たまたま夫婦で昭和村の周辺町村を観光で訪れた。「なんかきれいなところだな」と思い夫婦で訪問を重ねるうち移住も視野に入った。「暮らすには仕事が必要だよな」と、野菜や花卉の栽培について役場職員の説明を受ける中「実は昭和村は日本一のかすみ草の産地なんですよ」と耳にし、昭和村役場や福島県庁などに相談したところ、研修生として移住が決まった。就農の面接には、後の師匠となる立川さんがいた。

 2022年4月から1年間立川さんのもとで研修し、2023年から独立。研究部にも属しながら、30mのハウス×10棟の栽培初年度を終えた。多様な支援制度はあるが、いざ独立の段を迎えると「借りる農地も苗の注文も、初年度の計画作成は何から何まで先生にお世話になった」と、師である立川さんの存在の大きさを語った。また独立初年度の夏の暑い日には、空調のある師匠の作業場で作業をする日もあったそうで「あれ? 独立したのに今年も違和感なく隣にいるな」と立川さんも笑顔で弟子との作業を振り返った。

むすびに

 昭和かすみ草部会の調査は明るい農業・農村の展望を感じるひとときであった。そして、一大産地となったからこその課題も浮き彫りとなった。それは、産地を支えるJA職員の育成である。
 現在、昭和営農経済センターは、センター長と係長の2名体制である。係長は、シーズン中は全国27取引先と毎日連絡をとりながら、市況や各地の気象条件などもにらみ、販売に集中している。部会の売り上げや組合員所得に直結する、JA職員としての最重要任務である。最盛期の販売のみならず、年間を通し生産者や関係機関とコミュニケーションをとり、生産部会の事務局も務めている。これは一朝一夕に身に付く能力ではない。
 昭和村は今後も移住を伴う新規就農者が増えるだろう。それに伴い昭和かすみ草部会の生産規模や販売高も増える可能性が高い。JA内外を問わず雇用労働力不足は全国的に危機的状況が続いている。昭和村がかすみ草の産地として今後も発展し、JAもそれを支える存在であり続けるためには、次代を担う職員の人材育成は欠かせない。
 農村部から働き盛り世代が流出するのは社会構造上の課題でもある。JAグループも「国消国産」を掲げるのであれば、それを支える各JAの職員確保や人材育成についても、グループを挙げた新たな策を講じる時を迎えているのではないだろうか。例えば、群馬県の上野村森林組合には多くの移住者が正職員として入組している。一般に、人材の流動化には産業の発展や活性化などのメリットもあるとされる。
 JAには広域合併だけでは解決できない課題が今後ますます増えると思われる。組合員の協同で培った貴重な特産品を守るためにも、地域のJAと共に、JAグループや産地のステークホルダー全体の課題と捉え、考えたい。


<参考文献>

東京大学農学部環境資源科学課程農業・資源経済学専修「2022年度地域経済フィールドワーク実習報告書 福島県昭和村の農業と地域経済」2023年3月.

阿高あや あたか・あや

福島県生まれ。福島大学大学院人間発達文化研究科修了。東京大学大学院学際情報学府在学中。2013年桜の聖母短期大学・助教、2014年地産地消ふくしまネット・特任研究員を経て、15年よりJC総研・副主任研究員、21年4月より現職。東京大学、東京農業大学の非常勤講師を兼務。

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